太平洋戦争(大東亜戦争)

【よくある指摘】 太平洋戦争(大東亜戦争)で日本はアジアを侵略した

【反論】 太平洋戦争(大東亜戦争)の前にアジアは欧米の植民地であった

そもそも、太平洋戦争(大東亜戦争)によって日本軍が占領したアジアの大部分がイギリス、フランス、オランダ、アメリカの植民地であった。 これを「侵略」と定義するなら否定はしないが、それが倫理的な「悪」と呼べるかは別である。

【引用】
『日本を呪縛する「反日」歴史認識の大噓』(黄文雄)

大東亜戦争は海外侵略と植民地化、そして資源収奪を目論んだものだと今なお非難されるが、 日本を含めた東亜の自立を目指すなら、経済の安全保障として資源戦略を持つことは当然のことだ。 経済のブロック圏化など、現在でも普通に行われていることである。 そもそも侵略と植民地化は白人勢力が行っていたことであり、それを駆逐した日本だけが、なぜ侵略者として非難されなくてはならないのだろうか。

【引用】
『オブザーバー 1956年10月28日』(A・トインビー)

アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間、信じられてきたような不敗の神でないことを、西洋人以外の人種に明らかにしたことが、 日本人が歴史に残した功績だ。

【よくある反応】 太平洋戦争(大東亜戦争)の『アジア解放』は都合のいい口実にすぎない

【反論】 太平洋戦争(大東亜戦争)の『アジア解放』は前提条件であり、思想は戦前から存在した

大アジア主義(アジア諸民族の連帯・団結によって、西洋列強のアジア侵略に対抗し、新しいアジアを築こうという思想と運動)は、民間では太平洋戦争(大東亜戦争)前から存在していた。

欧米との協調を重視する日本政府は、大アジア主義を積極的に考えてはいなかったため、太平洋戦争(大東亜戦争)の『アジア解放』は「都合のいい大義名分」と言われている。

しかし、太平洋戦争(大東亜戦争)の目的がアジア各国を独立させて経済ブロック圏を構築することなので、アジア解放はむしろ太平洋戦争(大東亜戦争)の目的達成の前提条件であった。

勿論、日本の存続が太平洋戦争(大東亜戦争)の最大の目的であり、そこに倫理観が伴っていたかは別である。

「解放」などと大それた表現をするから、胡散臭く聞こえてしまうので、個人的には使うべきではないと思っているが、 「独立させて交易関係を結ぶ」という太平洋戦争(大東亜戦争)の目的が結果的に「解放」という表現に繋がってしまうのである。

但し、太平洋戦争(大東亜戦争)の『アジア解放』という目的に心を打たれ、戦った将兵が大勢いたことも事実である。

【引用】
サンパス(インドネシア元復員軍人省長官)

特にインドネシアの感謝することは、戦争が終わってから日本軍人約 1,000人が帰国しないでインドネシア国軍とともにオランダと戦って独立に貢献してくれたのだ。 日本の戦死者は国立英雄墓地に仕えて、功績をほめたたえて勲章を与えているが、それだけでは足りないのだ。

予想される指摘(別ページ):フィリピン独立法によって、アメリカはもともとフィリピンの独立を約束していた

【よくある反応】 太平洋戦争(大東亜戦争)で日本は欧米と同じ植民地主義を引き継いだだけ

【反論】 太平洋戦争(大東亜戦争)における占領地の扱いは欧米と同じではない

太平洋戦争(大東亜戦争)の際、日本は占領地において、行政経験の機会を増やし、現地の言語を教え、軍事訓練を施し、独立の気概を持つような教育をしている。 搾取と収奪が目的なら、そのようなことをする必要はない。

その証拠に、太平洋戦争(大東亜戦争)後、欧米が再びアジアを植民地にしようとしても、現地の人々の抵抗を受け、戦前のような植民地支配ができなくなっていた。

あくまで太平洋戦争(大東亜戦争)の目的は、欧米の支配から脱却し、アジア各国を独立させ、経済ブロックを構築することで、日本を含むアジアを共存させることである。

これは現在、ASEANやAPECといった形で当たり前のように実現されている。

【引用】
『東南アジアの解放と日本の遺産』(ジョイス・C・レプラ コロラド大学歴史学部教授)

日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味をもっていた。いまや真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう一つの可能性として浮び上がってきたのである。民族主義者は、日本占領期間中に身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地支配復帰に対抗した。そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。

【引用】
『東南アジアにとっての太平洋戦争』(立川京一)

日本による軍政は、基本的に現地の旧体制を温存して活用することを方針としていたが、旧宗主国人が占めていた上級のポストに、 現地人が代わって就く機会が各地で生じた。また、インドネシアでは、インドネシア人を日本の軍政監部の参与に登用したり、各州の副長官に任命したりした。 そのようにして得た行政経験が独立後の統治に生かされることになる。
(倉沢愛子「インドネシア」吉川利治編著『近現代史のなかの日本と東南アジア』東京書籍、1992 年、105 ページ、谷川榮彦「太平洋戦争と東南アジア民族独立運動」『法政研究』第 53 巻第 3 号、1987 年 1 月、394 ページ)
(中略)
日本軍の補助的な戦力とするために、フィリピンなど一部を除き、現地の 青年たちからなる防衛軍、義勇軍、義勇隊等を組織したり、兵補制度を導入したりするな どして、彼らに軍事訓練や将校教育を施した。日本軍による軍事訓練を通じて、東南アジ アの青年たちは技術だけでなく、国防意識も合わせて身に着けていった。そうした経験が のちに独立戦争を戦う際に生かされることになる。また、独立後は、そうした青年たちが国軍の中核となり、さらには、国の政治にも影響を及ぼす存在となっていく。
(後藤 乾一『近代日本と東南アジア』318 ページ、根本敬「ビルマ(ミャンマー)」吉川編著『近現代史のなかの日本と東南アジア』266 ページ)

【引用】
『日本を呪縛する「反日」歴史認識の大噓』(黄文雄)

第二次世界大戦後の世界の大きな流れの一つが、世界各地の植民地解放運動である。 そのきっかけが日本の大東亜戦争であった。(中略)日本の戦いぶりに励まされ、民族意識、国家意識に目覚め、 そして日本人によって国家運営の訓練を施されていた諸民族は、もはや白人の支配に甘んじることはなかった。 かくして東南アジアでは独立戦争が展開され、この新しい時代の潮流は、地球上の植民地に拡散していった。 その結果として、敗戦国だけでなく戦勝国だったはずの列強も、次々と植民地を手放さざるを得なくなった。

【引用】
ジョージ・S・カナヘレ(アメリカ、ハワイ日本経済協議会事務局長・政治学博士)

日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事の中で、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えた事である。

【よくある反応】 太平洋戦争(大東亜戦争)の占領地では日本語を教えていたのだから収奪目的

【反論】 太平洋戦争(大東亜戦争)では現地の言語と日本語を両方教えていた

太平洋戦争(大東亜戦争)において日本は、例えば、フィリピンの公用語を日本語またはタガログ語と定めている。 アメリカの植民地時代のフィリピンは、公の場では英語しか許されなかった。

太平洋戦争(大東亜戦争)で日本語を併せて教えようとしたのは、経済ブロック圏による交易を見据えた便宜上のことと解釈できる。

日本人は現在、日本語と英語を義務教育で学んでいるが、アメリカ・イギリスの植民地なのだろうか。

【引用】
フィリピン「国史」高校生用

日本軍はアメリカ以上にタガログ語の発達に力をつくした。彼らの目的がエゴイスチックだったのかどうかはあまり重要ではない。 日本がタガログ語の作家が自国語の美しさと可能性を再発見することに貢献したという事実は消して無くすことができない。

【引用】
ラジャー・ダト・ノンチック(マレーシア元上院議員)

私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。 敗れて逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。 しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教育をおこなってくれたのです。

【よくある反応】 太平洋戦争(大東亜戦争)の占領地はインフレに苦しんだから収奪目的

【反論】 太平洋戦争(大東亜戦争)で現地の経済は困窮したが収奪目的とはいえない

太平洋戦争(大東亜戦争)で東南アジア経済のインフレが顕著になってきたのは1943年(昭和18年)以降である。

これは太平洋戦争(大東亜戦争)の戦局が悪化してきた頃であり、平時に近代化政策を進められた台湾や朝鮮とは状況がまったく異なる。

それでも日本は食糧増産などを進めており、結果的に成果は上がらなかったが、「収奪目的」とする根拠にはならない。

また、太平洋戦争(大東亜戦争)以前にも欧州の戦争で東南アジアは宗主国に依存していた経済が傾きかけており、「植民地のままの方が経済的には豊だった」とは断定できない。

【引用】
『東南アジアにとっての太平洋戦争』(立川京一)

経済に関しては、ほとんどマイナスの影響しか及ぼさなかったと言うほかないであろう。 各植民地の経済は宗主国と密接な関係によって成り立っていたが、第二次世界大戦のヨーロッパ戦場におけるドイツの西方攻勢の影響でヨーロッパの宗主国との交易が減少していたところに太平洋戦争が始まり、東南アジアが日本の勢力下に置かれたことによって、 それまでの宗主国との経済関係は断絶した。日本は自給自足を方針として、食糧増産、作付転換、資源開発、 代用品の生産等を試みたが、成果はほとんど上がらず、インフレ、物不足、失業等、経済状況の悪化を招いた。

【よくある反応】 太平洋戦争(大東亜戦争)で日本はアジアに何も与えていない/太平洋戦争(大東亜戦争)が無くても独立できた

【反論】 太平洋戦争(大東亜戦争)で日本はアジアに精神面で影響を与えた

上記の通り、経済面ではマイナスであったり、太平洋戦争(大東亜戦争)の敗戦後、宗主国が戻った後にアジア各国が独立していることから、このような言説も見られる。

しかし、日本が太平洋戦争(大東亜戦争)でアジアに与えたものは、精神面の貢献が大きく、具体的な数字(統計)には出にくいことに留意する必要がある。

【引用】
ジョイス・C・レブラ(コロラド大学歴史学部教授)

大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。

【引用】
アリフィン・ベイ(インドネシア ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士)

日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。