南京虐殺(ぎゃくさつ)

【よくある指摘】 南京虐殺(ぎゃくさつ)は元日本兵の証言や日記が存在する

【反論】 南京虐殺(ぎゃくさつ)の証拠とされる日記に信憑性は無い

元日本兵の日記は、当時南京にいない、部隊に配属されていない、場所が違うなどの矛盾が多く、現時点で信憑性の高い日記は存在しない。

日記も、もとは日本の大手マスコミ(仮にA新聞とする)が報道したものであるが、 代表的な例として、1984年8月4日付のA新聞の夕刊に掲載されたものついて述べる。


まず、このA新聞の支局長は作成時期も、作成場所も不明な日記を証拠としていた。

その日記によると、都城23連隊の元上等兵のもので、南京で民間人の虐殺に直接携ったというのである。

これに対し、当時まだ生き残っていた都城23連隊の元隊員たちが支局長とも面談したところ、日記の持ち主の名前を明かさない、 日記も見せようとしない有様であった。

また、その支局長は「日記は1月1日から12月31日まで欠かさず記載されている」と述べているが、 従軍中の兵士が毎日日記を書くことは不可能に近い。

また、「インクで書かれている」と主張していたことも問題があり、当時はスポイトでインク瓶からインクを補充する時代だが、兵士が戦場へインク瓶を携行することなど考えられないのである。

結局、元隊員たちとの面談の結果、A新聞側は、虐殺の裏付けとなる証拠を提示することは無かった。

【引用】
吉川正司(元都城歩兵第23連隊・中隊長)

南京陥落の時、私は中尉であった。都城歩兵第23連隊の中に連隊砲中隊というのがあり、その中隊長代理として南京作戦に加わったのである。突入翌日の13日には城内の掃蕩をやっているが、城内に敵兵は一兵も見ず、一般住民もいない全くの死の街であった。連隊はそれ以降、主力を水西門東南方地区の市街地に、第1大隊をもって12月21日まで水西門外に駐屯し、警備にあたったが、翌13年1月13日に蕪湖へと転進するまで、虐殺事件など見たことも聞いたこともなかったと断言できる。従って記事内容はまさに寝耳に水であった。身に覚えのない報道に対して、最初に行動を起こしたのは、地元に住む「都城23連隊会」の面々だった


南京虐殺について、元日本兵証言者についても、以下は捏造であることが分かっている。 (あくまで一例だが、わざわざ、噓の証言を取り上げようとする『力』が働いている時点で、事件の信憑性そのものを疑うべきである

尚、この中の永富博道氏は「中帰連」のメンバーである。
氏名 疑わしい点
東 史郎原本が存在しない創作を流布している。最高裁でも東日記の記述は「客観的証拠がない」と判定され、損害賠償が命じられた。
富沢 孝夫海軍の暗号兵で、「南京発の松井軍司令官の虐殺を戒める暗号を傍受・解読した」 と証言しているが、陸軍の暗号を海軍の富沢孝夫が解読するのは不可能である。また、該当日時には松井司令官は蘇州で入院している。
永富 博道当時は国士館専門学校(現:国士館大学)の学生であったにもかかわらず、南京戦に参加し、虐殺を実行したと証言している。(「愛国学生連盟」の代表の一人として 1937年12月に南京の視察は行っている)
曾根 一夫野砲連隊の二等兵だったが、歩兵で下士官だと日記に記載している。経歴を調べた結果、日記は嘘と判明。
中山 重夫蛮行の目撃談を語ったが、現場に居合わせるのは不可能だったことが判明。証言の際、場所や時間が毎回変わるため虚偽と判明。
上羽 武一郎「上官の命令で強姦虐殺放火をした」と証言しているが、上羽武一郎は衛生兵であり、命令記録も存在しない。 (そもそも、「強姦しろ」などという命令は軍隊という組織ではあり得ない)
田所 耕三強姦と虐殺を証言していたが、所属部隊が該当する日時に南京を離れていた事が判明。後に「普通の話だと記者が興味を示さないから」と自白している。
舟橋 照吉輜重兵(輸送、補給を任務とする)の自身が1人で敵陣突撃し勇戦するという仮想戦記を載せており、日記の捏造が指摘されている。
太田 壽男死体を大量に埋葬した旨を供述書に書いているが、梶谷日記(原本確認可能) により、当時は証言した場所にいなかった事が判明。撫順収容所での洗脳後に書いた捏造だった。

【よくある指摘】 南京虐殺(ぎゃくさつ)に限らず、日本兵による民間人の虐待は普通に行われたこと

【反論】 民間人の虐殺は日本軍にとって普通の事態ではない

日中戦争(支那事変)においては、日本軍が通った場所は、ことごとく治安が回復している。

逆に、中国軍が街を通る際は、略奪や放火などの蛮行を行う(清野作戦)。これは紛れもない事実である。

この日本軍と中国軍の民間人に対する対応の違いと、中国軍による自作自演のプロパガンダから察するに、南京虐殺に限らず、 数々の日本軍の悪事は、中国軍による蛮行を日本軍がやったかのように宣伝されたものが基になっていると考えるのが妥当である。
(日本軍による捕虜の虐待、民間人の殺害が皆無であるとは断定しないが、それは南京虐殺という出来事とは別に研究すべき対象である)

尚、『ニューヨーク・タイムズ 1938年1月4』や、『大阪朝日新聞 1938年2月17日』によると、 一部の中国兵は、日本兵を装って強姦や略奪などの犯罪を犯したとする報道がなされており、この点にも留意する必要がある。

尚、南京は有史以来、城落の度に住民の大虐殺が行われた都市であり、南京虐殺はこの「屠城」をもとにした想像上の出来事という歴史学者(黄文雄氏)の指摘もあることを補足しておく。