日中戦争(支那事変)

【よくある指摘】 日中戦争(支那事変)は中国への侵略行為

【反論】 日中戦争(支那事変)を仕掛けたのは中国共産党

日中戦争(支那事変)の始まりである1937年7月7日の盧溝橋事件を仕掛けたのは中国共産党(以下、共産党)という説が濃厚である。

日中戦争(支那事変)勃発前の中国の実情を大雑把に述べると、蔣介石率いる国民党と、毛沢東の共産党が中国の実権を巡って争っていた。

共産党は漁夫の利を得るべく、日中戦争(支那事変)で国民党と日本軍を戦わせて両者を疲弊させることを目論んでいた。

日本軍は7月7日の夜、空砲による演習を行っていたところ、何者かから銃撃を受け、7月8日の朝に実弾による反撃を行っている(これが日中戦争(支那事変)のきっかけとなる)。

ところが、共産党は事件発生後、「7月7日夜10時、日本は盧溝橋において中国の駐屯軍馮治安部隊に対し攻撃を開始し~」 (『中国共産党資料集 第8巻』日本国際問題研究所)と電報を打っており、(おそらく自分達の)攻撃時刻を全国に伝えている。

7月8日になっても、国民党、日本軍ともに真相がつかめていない状況で、共産党だけが「7月7日の時点で日本側が一方的に攻撃を仕掛けた」かのように述べているのである。

【引用】
『戦士政治課本』(中国人民解放軍兵士教育用の初級革命教科書)

七・七事変(盧溝橋事件)は劉少奇同志の指揮する抗日救国学生の一隊が決死的行動を以って党中央の指令を実行したもので、これによってわが党を滅亡させようと第六次反共戦を準備していた蒋介石南京反動政府は、世界有数の精強を誇る日本陸軍と戦わざるを得なくなった。その結果、滅亡したのは中国共産党ではなく蒋介石南京反動政府と日本帝国主義であった

(上記は葛西純一編訳著『新資料盧溝橋事件 1974年』(中国人民解放軍政治部発行)からの引用であるが、葛西純一氏本人も元共産党軍(人民解放軍)の将校である)

【引用】
周恩来(中華人民共和国 首相)

あの時(廬溝橋事件の際)、我々の軍隊が、日本軍・国民党軍双方に、発砲し、日中両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、共産党に今日の栄光をもたらしたのだ。

【引用】
『コミュンテルン並びに蘇聯邦の対支政策に関する基本資料』(興亜院政務部)

あくまで局地解決を避け、日支(日本と国民党)の全面衝突に導かねばならない。 右目的の貫徹のため、あらゆる手段を利用すべく、局地解決や日本への譲歩によって支那の解放運動を裏切る要人は抹殺してもよい。 下層民衆階級に工作し、彼らに行動を起こさせ、国民政府として戦争の開始のやむなきに立ち至らしめねばならない。

【引用】
『毛沢東思想万歳 下巻』(東京大学近代中国史研究会訳)

主席(※毛沢東のこと)―何も申し訳なく思うことはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。みなさんの皇軍(日本軍)なしには、われわれが権力を奪取することは不可能だったのです。(中略)
過去のああいうことは、よい事であり、われわれの助けになったとも言えるのです。ごらんなさい。中国人民は権力を奪取しました。同時に、みなさんの独占資本と軍国主義はわれわれをも助けたのです。

尚、共産党が日中戦争(支那事変)のきっかけである盧溝橋事件を「七・七事変」呼んでいることに注目したい。

日本軍が盧溝橋事件で反撃したのは7月8日の朝であり、自分達が日中戦争(支那事変)を始めたと言っているようなものである。

主観であるが、もともとは自分達の工作によって日中戦争(支那事変)で日本軍を利用し、国民党を駆逐した「共産党の成果」を宣伝していたが、文革から反日教育を国策とするようになり都合が悪くなったのであろう。

日中戦争(支那事変)のきっかけである盧溝橋事件は「日本軍による自作自演」とする説がまかり通っているが、おそらく実態はまったく異なるし、少なくとも、これだけの史料があるのだから 日中戦争(支那事変)の原因については、議論の余地がある。
【引用】
『ゴーマニズム宣言』(小林よしのり)

当時の中国は文化大革命の真っただ中、「日本は世界征服の陰謀の第一歩として中国を侵略した」というトンデモない内容の反日偽書『田中上秦文』を『毛沢東語録』とともに大量頒布し、ありとあらゆる「日本軍の蛮行」を捏造しまくり、「その悪鬼・日本から我々を救って下さったのは毛沢東主席だ」という大宣伝を行なって国内をまとめていた。その一環として「南京大虐殺」も使われていたのだが、朝日はそんなプロパガンダを直輸入し、検証もせずに大宣伝したのだ。そして反戦・反権力ブームの当時の世相がそれを後押しし、他のマスコミも追随した。それが、戦後消えていた「南京虐殺」が突然大々的にマスコミに登場した理由なのである。


日中戦争(支那事変)のきっかけである盧溝橋事件の報道
(日本軍の反撃は7月8日の午前4時20分頃になっている)

【よくある反応】 日中戦争(支那事変)が共産党が起こしたというのはデマ

【反論】 少なくとも日中戦争(支那事変)の前に共産党は日本に宣戦布告している

1935年8月1日に、モスクワにいた王明ら駐コミンテルン中国共産党代表団が「八・一宣言(為抗日救国告全体同胞書:抗日救国のために全国同胞に告ぐる書)」を発表している。

内戦を停止し、中国共産党と中華ソビエト共和国中央政府が共同で抗日民族統一戦線を結成するというものである。

もともと「宣戦布告」自体は国際的な義務ではないし、これを所謂「宣戦布告」と捉えるかは議論の余地はあるにせよ、少なくとも日中戦争(支那事変)に共産党が暗躍していたとする指摘は妥当と思われる。

そもそも、盧溝橋事件は共産党がしかけたとする見解は、日中戦争(支那事変)勃発後の国民党内でも知れ渡っており、日本側もこのことは掴んでいた。

例えば、横浜正金銀行の北支責任者である加藤久朗は、日本政府の情報局会議に木戸幸一内大臣に 「重慶情報」として、このことを伝えている(「木戸幸一関係文書」より)。

現代の「歴史認識」に都合が悪いからといって、今更「デマ」と断ずるのは無理がある。

予想される指摘(別ページ):そもそも、中国への侵略の始まりは日中戦争(支那事変)ではなく満州事変である