韓国併合時代の朝鮮語学会事件

【補足】
朝鮮語学会事件は日本による朝鮮語弾圧の証拠とされるが、日本が国策として朝鮮語を弾圧したとする言説については明確に反論する。

日本統治下の朝鮮において、朝鮮語は必須科目だった(後に、必須科目からは除外されたが、積極的に学校から朝鮮語教育を止めたのは、主に朝鮮人の校長だった)。 また、京城帝国大学に、朝鮮語学部や、朝鮮文学部が存在した。

朝鮮総督府の機関紙『毎日申報』は、漢字ハングル混じりで終戦まで発行されていたし、ラジオの第二放送は朝鮮語が用いられていた。

【よくある指摘】 朝鮮語学会事件が朝鮮語禁止の証拠である

【反論】 過激な独立運動の取り締まりが真相である

上述のとおり、朝鮮語の禁止が事実ではないのであるから、朝鮮語学会事件における辞典編纂を理由とした検挙・投獄はあり得ない。

第八十四回帝国議会説明資料 朝鮮総督府 昭和18年

朝鮮語学会事件の首謀者と思われる人物は、上記の資料によると、義本克魯(李克魯)、月城鉉培(崔鉉培)の2名である。

さらに、以下の資料を確認すると、朝鮮語学会を称した宗教団体が独立運動団体として治安維持法の取り締まりを受けたのが真相と思われる。


朝鮮語学会は李氏朝鮮の末期に現れた檀君を崇拝する新宗教の大倧教系であった。

大倧教は朝鮮民族の始祖である檀君を崇拝する宗教教団であり、朝鮮の国民の統一と独自のアイデンティティの確立を求める民族主義的な動きに呼応して出現した宗教で1915年10月に朝鮮総督府の総督府令83号宗教統制案により、大倧教は宗教団体に偽装した独立運動団体と規定されていた。

日韓併合に対し、特権を失った両班たちの日本への恨みは少なからずあり、独立運動が一種のテロリズムの様相を呈し、一般の朝鮮人の生活すら脅かす危険な破壊破壊活動に繋がっていたことは、以下を参照されたい。

「三一独立運動を弾圧した」への反論


大倧教の「抗日活動」もやはり、元両班が関わっており、朝鮮語学会という過激な独立運動に繋がる団体を取り締まったというのが真相であり、少なくとも朝鮮語の弾圧とは関係ない。

尚、朝鮮語学会事件に対し、朝鮮人の刑事が熱心に取り組み、苛酷な拷問を容疑者に加えていたとする指摘もある。真偽は不明だが、1910年末時点でも朝鮮人の警察官は全体の6割に達していたため、可能性としては十分考えられる。

なぜなら、「朝鮮人は、朝鮮語を忘れてしまわなければならない。朝鮮人が日本語でものを考えたときこそ、朝鮮人が最も幸福になった時である」と、主張する、 玄永燮の「朝鮮人の進むべき道」という本が、朝鮮人の間でベストセラーになってしまうほど、自ら朝鮮語を捨てようとする社会的な潮流が存在したからである。

【よくある反応】 朝鮮語学会事件で独立運動を弾圧したことに変わりない

【反論】 平和的な活動や思想の自由は保障されていた

内地でも共産主義者がソ連に情報を提供したなどのスパイ活動で捕まったのと同様に、大倧教が「国体の破壊につながる」と見なされ、治安維持法の対象となっていたことが理由で、思想を持ち、平和的に活動すること自体は自由であった。

一例を挙げると、1927年に設立した新幹会のような抗日独立団体も、結成直後に摘発・解散させられることはなく、過激な行動に出たり、そのような動きがみられた際に取り締まりの対象となった。

新幹会の創立を伝える紙面(東亜日報 1927年2月14日)