韓国併合時代の関東大震災における朝鮮狩り

【よくある指摘】 関東大震災の朝鮮狩りで6,000人以上の朝鮮人が虐殺された

【反論】 被害者は200~300人と考えるのが妥当

当時の資料には6,000人以上の朝鮮人が虐殺されたとするものは存在しない。
関東大震災当時の一次資料等を確認すれば、200~300人と考えるのが妥当である。

犠牲者数(推定) 史料
関東大震災後一週間の治安維持のための朝鮮人殺害254人、日本人殺害27人『関東戒厳司令部詳報』
朝鮮人被害者死亡231人、重軽傷43人『朝鮮人虐殺関連官庁資料』
数百人『写真 明治大正60年史 1956年』(毎日新聞社)

【よくある反応】 200~300人であっても根拠のないデマからの朝鮮狩りによる虐殺は事実

【反論】 デマが含まれていたことは事実だが「根拠」はあった

一次資料を見ても、関東大震災直後、朝鮮人は殺人、放火、集団強盗、強姦など、多数の犯罪をしていたことは事実である。

【引用】
『震災後に於ける刑事事犯及び之に関連する事項調査書』(司法省刑事局)

第三章 鮮人の犯罪
鮮人の犯罪として明かなるものは、別表に掲記
(当時の司法省刑事局が「鮮人の犯罪として明かなるもの」と認定した犯罪だけで、殺人2件、殺人未遂2件、殺人予備2件、放火3件、強盗4件、強盗強姦1件、強姦2件、傷害2件、脅迫1件、公務執行妨害1件、窃盗17件、横領3件、爆発物取締罰則違反3件など)

以下は『東京時事新報 大正12年10月22日』より抜粋。
事件 詳細
掠奪九月二日午後六時頃本所区中の郷附近 鄭 塋
住所氏名不詳の罹災者より数回に衣類諸道具類を掠奪し吾嬬町清地方面へ運搬の途中押えられた
放火九月一日午後八時過日本橋北鞘町にて 氏名不詳鮮人一石橋際大谷倉庫に放火した
婦人に暴行九月二日午後十一時過ぎ本所柳島元町金孫順
避難中の氏名不詳の一内地婦人に暴行を加えんとして遂げず、衣類高十点を強奪し亀戸署に拘禁されたが、同署類焼に瀕しななめ二日解放され行方不明
三十名の一団 柳島の呉服屋で掠奪九月一日午後十一時過本所区柳島姜金山外三十名位の一団
柳島元町一六九呉服商中里奥三方に乱入し、店員に暴行を加え各一抱の呉服類を強奪した、犯人中姜金山は亀戸署に拘禁されたが、類焼に瀕して解放され行方不明
掠奪九月一日午後六時より十一時本所区押上町一六五呉服商牧野弥八方、柳島元町洋品店鹿取孝次郎方同洋食店安田組二方、同一六九村上与三方、氏名不詳鮮人、十六六名金品を掠奪し酒食を貪る日本刀、棍棒等を以て襲撃し内四名取押えられ、一名は東森下町に放火し金某は日島渡辺倉庫に爆発物を以て放火した
放火爆弾九月一日夜より三日月島二号地、月島渡辺倉庫の号、深川区東森下町附近汁粉屋自称金某外氏名不詳鮮人四名 兇器をたずさえて五名本所区菊川町方面より月島に入込み短銃を発射し或は放火、掠奪、爆弾放擲
強奪九月二日午後二時過深川区富川町三五高橋勝治方前道路氏名不詳鮮人三名 高橋勝治を兇器を以て負傷せしめ金銭を強奪せんとして果さず逃走
少女を殺す九月二日夜南葛飾郡木田町四つ木荒川放水路堤上氏名不詳鮮人四名 避難中の十六七歳の少女に暴行を加え後殺害して死体を荒川放水路に放棄した
棍棒九月二日午後十時頃南葛飾郡小松川町字新町三九六二四軒長屋裏手氏名不詳鮮人一名 榎本豊吉に棍棒を以て負傷せしめ逃走した

【引用】
『東京時事新報 大正12年10月22日』

関東一帯を騒がした鮮人暴動の正体はこれ : 放火殺人暴行掠奪につぎ橋梁破壊も企てた不逞団 : (記事差止め昨日解除)
九月一日の震災後東京始め関東一帯の人を騒がせた流言蜚語の為めに遂に内鮮人にして殺害されるもの算無く、是が流言の出所に就いては尚お闡明されて居ないが、一部の不逞鮮人が混乱裏に左の如く有ゆる犯行を逞うした事で、司法当局は爾来極力是が犯罪検挙に努めた結果昨二十日一先ず取調べを終り、同時に記事差止めを解除した既に起訴されたもの十数件、此外治安警察法違犯、窃盗、横領等により起訴した鮮人二十三名、放火、毒薬投入、爆弾携帯、掠奪、婦人に対する暴行その他の事件につき、東京横浜に於て捜査中のもの亦少くない

【よくある反応】 関東大震災で朝鮮人による犯罪があったとしても、デマまで流布するのはおかしい

【反論】 警戒を強めたいとする意図は理解はできる

デマを広めたことは非難されて然るべきだが、上述のとおり、 関東大震災の混乱に乗じたあまりの犯罪の酷さに警戒を強めたいとする意図は理解できる。

「井戸に毒を入れた」というデマを広めたのは、警視庁官房主事の正力松太郎と、その話を聞いた警視庁官房にいた新聞記者であるが、 内務大臣兼帝都復興院総裁の後藤新平は以下のように述べている。

【引用】
『関東大震災『朝鮮人虐殺』の真実』(工藤美代子)

後藤新平は、「正力君、朝鮮人の暴動があったことは事実だし、自分は知らないわけではない。だがな、このまま自警団に任せて力で押し潰せば、彼らとてそのままは引き下がらないだろう。必ずその報復がくる。報復の矢先が万が一にも御上に向けられるようなことがあたら、腹を切ったくらいでは済まされない。だからここは、自警団には気の毒だが、引いてもらう。ねぎらいはするつもりだがね。」と正力に語り、正力はあえて風評の打消し役に徹したという。

【よくある反応】 それでも明らかに朝鮮狩りは過剰防衛である

【反論】 お互い様といえる

関東大震災をきっかけに罪のない人々が被害に遭ったという点で、日本人も朝鮮人も同様なのだから、お互い様といえる。

日本人側も、極限状態の中で放火までされるようでは、事が起きてからでは手遅れであり、 自警団による過剰な行動も理解はできる(当然、朝鮮人という理由で無差別に殺害する行為は許されることではないが、当時の状況を鑑みる必要がある)。

また、個々の犯罪に留まらず、400~1,000人もの朝鮮人が横浜で軍隊と衝突している記録もあることから、 徒党を組んだ組織的犯罪(もはやテロと呼べる)も存在し、自警団が警戒を強めたのは当然といえる。


少なくとも、いわゆる関東大震災における朝鮮狩りの悲劇に関しては、一方的に「朝鮮人が犠牲者」であるかのような風説には意義を唱えたい。

【よくある反応】 朝鮮人が暴れたのは日本人に搾取されてきたから

【反論】 韓国併合で恩恵を受けたのは朝鮮人

李氏朝鮮の時代と比較し、韓国併合によって朝鮮人は遥かに恩恵を受けている。 まして、本土にいた朝鮮人たちは強制連行された訳でもなく、豊かな生活を求めて渡航してきた者たちである。

「強制連行された」への反論

「朝鮮の経済は困窮した」への反論

韓国併合で日本が与えたもの