【よくある指摘】 関東大震災の朝鮮狩りで6,000人以上の朝鮮人が虐殺された
【反論】 関東大震災の朝鮮狩りの被害者は200~300人程度と考えるのが妥当
当時の資料には6,000人以上の朝鮮人が朝鮮狩りによって虐殺されたとするものは存在しない。
関東大震災当時の一次資料等を確認すれば、関東大震災の朝鮮狩りの被害者は250人程度である。
犠牲者数(推定) | 史料 |
---|---|
関東大震災後一週間の治安維持のための朝鮮人殺害254人、日本人殺害27人 | 『関東戒厳司令部詳報』 |
朝鮮人被害者死亡231人、重軽傷43人 | 『朝鮮人虐殺関連官庁資料』 |
数百人 | 『写真 明治大正60年史 1956年』(毎日新聞社) |

【よくある反応】 朝鮮人虐殺で起訴されて法廷で裁かれた事件の被害者数に過ぎない
【反論】 800名を超えるデータは存在するが、朝鮮狩り以外を含めてしまっている
朝鮮総督官房外事課は報告書「関東地方震災時に於ける朝鮮人問題」で、
尚、朝鮮総督官房外事課の報告の前に、朝鮮総督府警務局は見込み数として813名を挙げているが、「混乱ノ際ナリシト且之等ノ被殺死体ハ一般死体ト共ニ速ニ埋火葬ニ附セラレ死因ノ辨別ニ苦シム等的確ナル数判明セズ」(関東地方震災ノ朝鮮ニ及ホシタル状況)としており、判然としていない。
上記、朝鮮総督官房外事課の報告書は、朝鮮地方官憲で精細に調査した結果とされており、やはり250名程度が妥当と思われる。
そもそも、『関東戒厳司令部詳報』では「治安維持のため」という前提があり、254人の中には罪人が含まれている可能性があり、朝鮮人虐殺の犠牲者は、さらに少ない可能性すらある。
『朝鮮総督官房外事課が作成した報告書』
自警団に殺害された鮮人の数は混乱の際であり死体は一般の死体と共に火葬に附されたから死因も弁別せず従って的確なる数を得ること困難であるが朝鮮地方官憲で精細に調査した結果に依れば圧死者焼死者被殺者及行方不明となった鮮人は総体で832名である、鮮人の居住場所と焼死者の多かった事実に徴し自警団に殺害された者はその二三割を超過することはあるまいと推定せられるのである
【よくある反応】犠牲者が200~300人であっても根拠のないデマからの朝鮮狩りによる虐殺は事実
【反論】 お互い様といえる
関東大震災をきっかけに罪のない人々が被害に遭ったという点で、日本人も朝鮮人も同様なのだから、お互い様といえる。
日本人側も、極限状態の中で放火までされるようでは、事が起きてからでは手遅れであり、
自警団による過剰な行動も理解はできる(当然、朝鮮人という理由で無差別に殺害する行為は許されることではないが、当時の状況を鑑みる必要がある)。
また、個々の犯罪に留まらず、400~1,000人もの朝鮮人が横浜で軍隊と衝突している記録もあることから、
徒党を組んだ組織的犯罪(もはやテロと呼べる)も存在し、自警団が警戒を強めたのは当然といえる。
新聞「新愛知」号外(1923年9月4日)
【よくある反応】 それらの新聞報道はデマ
【反論】 複数の新聞が報じており証言も存在する
『北海タイムズ 大正12年9月6日』東京電機学校生徒・西郷正秀君談
品川は三日に横浜方面から三百人位の朝鮮人が押寄せて掠奪したり爆弾を投じたりするので近所の住民は獲物を以つて戦ひました。鮮人は鉄砲や日本刀で掛かるので危険でした。其中に第三連隊がやつてきて鮮人は大分殺されましたが日本人が鮮人に間違はれて殺された者が沢山ありました
『河北新報 大正12年9月5日』大日本石鹸株式会社専務・細田勝一郎談
(横浜での出来事)
況(いわん)や不逞の鮮人約二千は腕を組んで市中を横行し、掠奪をほしいままにするは元より、婦女子二三十人宛を拉し来たり随所に強姦するが如き非人道の所行を白昼に行ふている。これに対する官憲の警備は東京市と異なり、軍隊の出動もないので行届かざること甚だしく、遂には監獄囚人全部を開放し看守の指揮によりてこれが掃蕩に当たらしめたので大戦闘となり、鮮人百余人を斃したが警備隊も十余人の負傷を生じた模様である
「井戸に毒を入れた」というデマを広めたのは、警視庁官房主事の正力松太郎と、その話を聞いた警視庁官房にいた新聞記者と言われているが、主に横浜方面から発生したと言われており、真相は不明である。
警視庁の官房主事だった正力松太郎がデマを流していたのなら、新聞は「警察発表によると」とだけ報道すると思われるが、いずれにせよ会社の専務といった、それなりの地位の人間が、しかも別々の新聞で実名で証言している。
とりわけ、実在の企業の専務を実名で出している点から、記事を捏造すれば大問題になるし、買収するにしても、他紙でも似たような証言が掲載されており、複数紙が同時に個人を買収して虚偽記事を書かなければならないことになる。
但し、細田勝一郎の話に疑問符が付くのも事実である。
暴動の数を「約二千」としているが、2,000という人数を見極めるのは慣れていないと難しいし、当時首都圏にいた朝鮮人は10,000人程であり、二千人規模の暴動を起こすのは不可能と思われるため、逆に「デマではない」と断定するのも難しい。
【よくある反応】 それらの証言は見聞に過ぎず、通信も困難になっており、新聞報道は全てデマ
【反論】 後藤新平も暴動を認めている
内務大臣兼帝都復興院総裁の後藤新平は以下のように述べている。
『関東大震災『朝鮮人虐殺』の真実』(工藤美代子)
後藤新平は、「正力君、朝鮮人の暴動があったことは事実だし、自分は知らないわけではない。だがな、このまま自警団に任せて力で押し潰せば、彼らとてそのままは引き下がらないだろう。必ずその報復がくる。報復の矢先が万が一にも御上に向けられるようなことがあたら、腹を切ったくらいでは済まされない。だからここは、自警団には気の毒だが、引いてもらう。ねぎらいはするつもりだがね。」と正力に語り、正力はあえて風評の打消し役に徹したという。
【よくある反応】 後藤新平のエピソードは工藤美代子の父親が正力松太郎から聞いたことを伝えているに過ぎない
【反論】 数百~数千人規模の暴動をデマと仮定しても、『凶悪犯罪の多発』をデマとするのは難しい
『震災後に於ける刑事事犯及び之に関連する事項調査書』では、確かに、朝鮮人の組織的な暴動について「一定の計画の下に脈絡ある非行を為したる事跡を認め難し」と否定しているため、大規模な暴動については断定できない。
しかし、『凶悪犯罪の多発』までをデマとするのは難しい。
『東京時事新報 大正12年10月22日』の文面を見て欲しい。"記事差止め昨日解除"とある。
これは
紙面上でも「流言飛語の出所は不明だが、これら(記載の犯罪行為)は事実である」趣旨を述べている。
従って、当該記事に載っている犯罪行為も「デマ」と断定するには無理がある。
以下は『東京時事新報 大正12年10月22日』より抜粋。
事件 | 詳細 |
---|---|
掠奪 | 九月二日午後六時頃本所区中の郷附近 鄭 塋 住所氏名不詳の罹災者より数回に衣類諸道具類を掠奪し吾嬬町清地方面へ運搬の途中押えられた |
放火 | 九月一日午後八時過日本橋北鞘町にて 氏名不詳鮮人一石橋際大谷倉庫に放火した |
婦人に暴行 | 九月二日午後十一時過ぎ本所柳島元町金孫順 避難中の氏名不詳の一内地婦人に暴行を加えんとして遂げず、衣類高十点を強奪し亀戸署に拘禁されたが、同署類焼に瀕しななめ二日解放され行方不明 |
三十名の一団 柳島の呉服屋で掠奪 | 九月一日午後十一時過本所区柳島姜金山外三十名位の一団
柳島元町一六九呉服商中里奥三方に乱入し、店員に暴行を加え各一抱の呉服類を強奪した、犯人中姜金山は亀戸署に拘禁されたが、類焼に瀕して解放され行方不明 |
掠奪 | 九月一日午後六時より十一時本所区押上町一六五呉服商牧野弥八方、柳島元町洋品店鹿取孝次郎方同洋食店安田組二方、同一六九村上与三方、氏名不詳鮮人、十六六名金品を掠奪し酒食を貪る日本刀、棍棒等を以て襲撃し内四名取押えられ、一名は東森下町に放火し金某は日島渡辺倉庫に爆発物を以て放火した |
放火爆弾 | 九月一日夜より三日月島二号地、月島渡辺倉庫の号、深川区東森下町附近汁粉屋自称金某外氏名不詳鮮人四名 兇器をたずさえて五名本所区菊川町方面より月島に入込み短銃を発射し或は放火、掠奪、爆弾放擲 |
強奪 | 九月二日午後二時過深川区富川町三五高橋勝治方前道路氏名不詳鮮人三名 高橋勝治を兇器を以て負傷せしめ金銭を強奪せんとして果さず逃走 |
少女を殺す | 九月二日夜南葛飾郡木田町四つ木荒川放水路堤上氏名不詳鮮人四名 避難中の十六七歳の少女に暴行を加え後殺害して死体を荒川放水路に放棄した |
棍棒 | 九月二日午後十時頃南葛飾郡小松川町字新町三九六二四軒長屋裏手氏名不詳鮮人一名 榎本豊吉に棍棒を以て負傷せしめ逃走した |
『東京時事新報 大正12年10月22日』
関東一帯を騒がした鮮人暴動の正体はこれ : 放火殺人暴行掠奪につぎ橋梁破壊も企てた不逞団 : (記事差止め昨日解除)
九月一日の震災後東京始め関東一帯の人を騒がせた流言蜚語の為めに遂に内鮮人にして殺害されるもの算無く、是が流言の出所に就いては尚お闡明されて居ないが、一部の不逞鮮人が混乱裏に左の如く有ゆる犯行を逞うした事で、司法当局は爾来極力是が犯罪検挙に努めた結果昨二十日一先ず取調べを終り、同時に記事差止めを解除した既に起訴されたもの十数件、此外治安警察法違犯、窃盗、横領等により起訴した鮮人二十三名、放火、毒薬投入、爆弾携帯、掠奪、婦人に対する暴行その他の事件につき、東京横浜に於て捜査中のもの亦少くない
「被害者は実在しない」「日記が出てこない」といった指摘もあるが、上記の記事には被害者も、犯人と思わしき実名も出ている。
また、震災の混乱の中で、多くの人間が生活もままならない状況の中、朝鮮人の犯罪行為を日記に書くのか。仮にあったとして、その日記が現在まで残り、学者やメディアが発掘できるかも甚だ疑問である。
(通常であれば、遺族や本人が処分してしまうし、膨大な日記から「これは貴重な歴史資料だ」と気付いて、学術機関に寄付するといった労力を割くとも思えない)
また、金孫順という名前が出て来るが、「~順」という名前は女性名だから婦人に暴行はあり得ないとする指摘があるのも事実である。
勿論、最後に「ジュン」とつく男性名も存在する(~俊など)し、日本人が調書を取った際、漢字を間違えたとしか思えない(日本人の感覚だとジュンと聞けば、"順"が真っ先に出てきてしまう)のだが、本件については、一次資料ですら全て鵜吞みにできない難しさがある。
【よくある反応】 犯罪者には"氏名不詳"が多く、朝鮮人とは断定できない
【反論】 司法省刑事局も戒厳司令部も犯罪行為については認めている
これはよく目にする指摘だが、『氏名不詳だから朝鮮人とは断定できない』という指摘には違和感しかない。
名前を確認中だが被疑者が答えない、偽名を答えており特定が困難等、いくらでも考えられるからだ。
戒厳司令部が「朝鮮人の暴動はデマ」と公表した際「
つまり、「朝鮮人に関する流言飛語に注意しなさい」のと警告した際も、
『震災後に於ける刑事事犯及び之に関連する事項調査書』を見ても、
『震災後に於ける刑事事犯及び之に関連する事項調査書』(司法省刑事局)
第三章 鮮人の犯罪
鮮人の犯罪として明かなるものは、別表に掲記
(当時の司法省刑事局が「鮮人の犯罪として明かなるもの」と認定した犯罪だけで、殺人2件、殺人未遂2件、殺人予備2件、放火3件、強盗4件、強盗強姦1件、強姦2件、傷害2件、脅迫1件、公務執行妨害1件、窃盗17件、横領3件、爆発物取締罰則違反3件など)



『震災後に於ける刑事事犯及び之に関連する事項調査書』(司法省刑事局)

『震災後に於ける刑事事犯及び之に関連する事項調査書』(司法省刑事局)※現代語訳
【よくある反応】 実際に起訴された朝鮮人はごく少数であり、いずれも軽犯罪である
【反論】 司法省刑事局は大元の犯罪行為からデマが広まったと結論付けている
『震災後に於ける刑事事犯及び之に関連する事項調査書』によると、「起訴の手続きを成したる者は十三名」としているが、逃走して行方不明の者や、その場で殺害された者もおり、起訴された人数だけで犯罪件数を断定するのは無理がある。
そもそも、カメラすら希少であり、確実といえる物的証拠が指紋ぐらいしかなかった時代に、司法判断だけで実質的な犯罪件数を特定することはできない。
『震災後に於ける刑事事犯及び之に関連する事項調査書』には、鮮人十数名の強窃盗事件(深川の住所あり)、放火事件等~といったくだりがあり、
『震災後に於ける刑事事犯及び之に関連する事項調査書』(司法省刑事局)
阿鼻叫喚鮮人において、

『震災後に於ける刑事事犯及び之に関連する事項調査書』(司法省刑事局)
『「これはデマです」と通達があったときに、誰も意義を唱えなかったのはおかしい』といった指摘もあるが、理由はこれであろう。当局は、大規模な暴動は否定したが、個別の凶悪犯罪までは否定しなかったのである。
【よくある反応】 関東大震災で朝鮮人による犯罪があったとしても、デマまで流布するのはおかしい
【反論】 朝鮮人への偏見は三一独立運動や尼港事件が関係していると思われる
デマを広めたことは非難されて然るべきだが、このようなデマに何故人々は過敏に反応したのか。
それは「朝鮮人への差別意識」であるとか「植民地支配の罪悪感」といった指摘もあるが、朝鮮狩りで朝鮮人を無差別に殺傷するには違和感を感じる。
これは三一独立運動や、震災の3年前に起きた尼港事件が原因していると推察する。尼港事件では、パルチザンに朝鮮人が1000人が加わって、731人の日本人を殺害しており、これが「朝鮮人は怖い」というイメージに繋がったのではないか。
三一独立運動の実態については、以下を参照されたい。
「三一独立運動を弾圧した」への反論
「提岩里事件で一般の韓国人が虐殺された」への反論
以上を踏まえると、以下のような実体が浮かび上がってくる。
(あくまで推測であるため、参考程度に留めていただきたい)
①朝鮮人による放火や強盗、暴動が多発。
②「井戸に毒」などデマまで飛び交う。
③自警団が暴走し、朝鮮人に多数の死傷者を出す。
④日本人と朝鮮人の争いに収拾がつかなくなる。
⑤治安の悪化を恐れた当局が「デマを流さないように」と報道規制をかける。
⑥報道規制が解除されると、朝鮮人の犯罪が明るみに出る。
⑦戦後、左翼メディアが⑥を無視して「デマ」というキーワードを利用して、日本人を一方的な加害者、朝鮮人を一方的な被害者に仕立て上げた。
少なくとも、不逞を働いた朝鮮人、無差別に朝鮮人を死傷させた自警団はお互い様といえる。少なくとも、関東大震災における朝鮮狩りの悲劇に関しては、一方的に「朝鮮人が犠牲者」であるかのような風説には意義を唱えたい。
【よくある反応】 朝鮮人が暴れたのは日本人に搾取されてきたから
【反論】 韓国併合で恩恵を受けたのは朝鮮人
李氏朝鮮の時代と比較し、韓国併合によって朝鮮人は遥かに恩恵を受けている。
まして、本土にいた朝鮮人たちは強制連行された訳でもなく、豊かな生活を求めて渡航してきた者たちである。