太平洋戦争(大東亜戦争)とマッカーサー証言

【よくある指摘】 マッカーサーは「日本は自衛戦争をした」などと証言していない

【反論】 マッカーサー証言から「日本は自衛戦争をした」と解釈するのも誤りではない

マッカーサー証言の重要な一文を再確認する。
Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.

マッカーサーの証言を「デマ」とする者は、 上記の"security"(セキュリティ)を「安全保障」ではなく「治安」や「雇用」などと解釈して「自衛戦争とは言ってない」と主張している。

しかし、マッカーサーのような人物が議会の場で国家、戦争のことを述べている中での"security"は、「安全保障」と解釈するのが妥当と思われる。

マッカーサーの認識が仮に「治安」や「雇用」だとしても、マッカーサーの証言を「デマ」と主張する者は、言葉のニュアンスで誤魔化しているに過ぎない。

「雇用問題のために戦争したのか」と、マッカーサー証言を言葉のイメージだけで矮小化している。

あるいは、マッカーサーが述べていた、当時の1,000万人単位が失業するという事態がどういう状況か分かっていない。

昭和15年の労働人口は3,260万人である。マッカーサーが述べている1,000万人~1,200万人が失業するような事態は、国土の半分を消失するような状況である。

尚、失業者が出ないこと=経済安全保障ともいえるため、「安全保障」と解釈しても何ら問題ないし、「安全保障」と解釈できるなら「自衛のため」と言っても捏造とはいえない。

なぜなら、石油がまったく入ってこないということは、軍艦も戦闘機も動かないのだから、国防力さえ失うことになり、もはや戦争行為といえる。

20世紀に入り、石油は軍事だけでなく、多くの産業に欠かせないエネルギーとなっていた。 第一次世界大戦後、「工業国に石油の供給を絶つことは宣戦布告に等しい」ことが世界の共通認識になっていた。

エチオピア戦争においても、国際連盟でイタリアへの経済制裁が検討されたが、石油の禁輸は宣戦布告に当たるとして、却下されている。

マッカーサーは米国陸軍の元帥である。このような常識的な知識なく、securityという言葉を用いたとは考えられない。

あるいは「自衛」という言葉が気に食わないのであろうが、「兵糧攻めに対して自衛権を持たせるべきか」は現在の国際社会でも議論が続いている。

「自衛」の定義を物理的な攻撃への防衛に限定する発想は、いかにも戦後の日本人らしいが、この定義は現在でも明確になっていないため、「国家の存続に関わる重要な資源を確保するための戦争」を自衛戦争と呼ぶことは100%の誤りではない。

よって、マッカーサー証言から、「日本は自衛戦争をした」と解釈することも可能である(議論の余地はあるにせよ)。


マッカーサー証言部分の議事録

【引用】
(パール判事)

石油を禁止した途端に戦争になるであろうということは、アメリカの政治家や評論家・軍人の間の常識となっていた。 しかるに、彼らはあえてその石油禁輸を断行したのである。

【よくある反応】 マッカーサーのif構文は仮定法だから、経済制裁の前に戦争を決断したと認識している

【反論】 マッカーサーは対日経済制裁が日本を戦争に駆り立てたと認識している

仮定法は現在を起点にして仮定の話をする。 既に終わった過去のことに対して、過去形とwouldを使っているのだから、この場合、仮定法ではなく、単純過去(wouldはwillの過去形で、過去から見た予測)と解釈できる。

フーバー元大統領の記録によれば、マッカーサーは、1941年7月の対日経済制裁を「日本と戦争を始めたいルーズベルトによる挑発行為である」との認識を示している。

つまりマッカーサーは「経済制裁によって、日本を戦争へと駆り立てた」と認識しているのである。

マッカーサーの真意が「日本は石油禁輸を恐れて、禁輸される前に(先走って)戦争を決意した」であるなら、上記のマッカーサーの認識を覆す史料が必要となる。

【よくある指摘】 マッカーサーのような立場の人間が日本を擁護することはあり得ない

【反論】 マッカーサーは開戦の原因を冷静に見ていたに過ぎない

アメリカは戦後の総括を行った結果、政府内に潜り込んでいた共産主義者たちが少なからず第二次世界大戦への参戦に影響を与えていたことを知る。

1949年に下院非米活動委員会は政府職員のうち3,000名が共産党員であったことを発表している。

また、1955年までに20,000人以上の政府職員が危険分子として解雇されている。いわゆる「赤狩り」である。

このような経緯があり、「アメリカが日本を戦争に駆り立てた」とする主張も米国内には存在しており、マッカーサーが同様の認識を持っていても、 何ら不思議はないのである。

戦前から、この動きを察知し、警鐘を鳴らしていた代表的な人物がフーバー元大統領である。

フーバー元大統領は戦前から、ドイツや日本に不要な挑発をしてアメリカを戦争に巻き込んではならないと繰り返し警告していた。

フーバー元大統領は1946年5月に東京でマッカーサーにも会っている。回顧録によれば、そのときの「日本との戦いは戦争したくて仕方のない狂人(ルーズベルト)が望んだことだ」という有名な言葉にマッカーサーは同意している。

【引用】
『裏切られた自由』(フーバー元大統領の回顧録)

真珠湾攻撃の後になっても親しい友人には、みんな分かっていることだと思うが、ガラガラヘビ(日本)をしつこく針で刺した結果、我が国は咬まれたということだ。

【よくある反応】 マッカーサーは朝鮮戦争や中国への攻撃を正当化しようとしたに過ぎない

【反論】 マッカーサーはソ連や共産主義の脅威を理解したに過ぎない

マッカーサーはアメリカが日本と戦争したことで、ソ連と中国共産党を利してしまい、将来に禍根を残すことを懸念していた。

【引用】
産経新聞(2015年12月24日)

老兵・マッカーサーはなぜ「日本は自衛の戦争だった」と証言したのか…
マッカーサーは、朝鮮戦争を通じて北朝鮮の背後にいるソ連、中国(中華人民共和国)という共産主義国の脅威を痛感した。 ところが、トルーマンは、北大西洋条約機構(NATO)加盟国が「中ソと徹底的に対立すれば、欧州はソ連の報復攻撃を受けかねない」と動揺したこともあり、 北緯38度線付近で「痛み分け」にする策を練っていた。これに対して、マッカーサーは中国を海と空で封じ込め、毛沢東率いる共産党政権を倒さねば、 将来の米国の安全を脅かすと主張して譲らなかった。これがトルーマンがマッカーサーを解任した理由だった。 (中略) マッカーサーの主張は、その後の歴史をたどっても説得力がある。ただ、朝鮮半島を死守しつつ、大陸の中ソと対峙するという戦略は、 日本政府が独立を守るために日清戦争以来とってきた戦略と変わりない。「過去100年に米国が太平洋地域で犯した最大の政治的過ちは共産勢力を中国で増大させたことだ。 次の100年で代償を払わなければならないだろう」マッカーサーはこうも語った。これは「米国は戦う相手を間違った。真の敵は日本ではなくソ連や中国共産党だった」と言っているのに等しい。

【よくある反応】 マッカーサーは日本を12歳の少年に例えており、「理性が無い」と評価している

【反論】 マッカーサーは日本人の柔軟性を評価したに過ぎない

前後の言葉も踏まえると、マッカーサーの真意は以下の記事が有力となる。

【引用】
産経新聞(2015年12月24日)

この発言の前後で「学びの段階に新しい思考様式を取り入れるのも柔軟だ。日本人は新しい思考に対して非常に弾力性に富み、受容力がある」とも述べている。「日本人の柔軟性」をよい意味で少年に例えたといえなくもない。 日本人は大戦で勇猛に戦い、米軍を震撼させながら、敗戦後は驚くほど従順でマッカーサーの治世を称賛した。マッカーサーにはその姿が「12歳の少年」に映ったのではないか。