古代史と韓国

【よくある指摘】 日本の天皇は百済から来た韓国人だ

【反論】 武寧王は日本の出身

2001年12月23日、当時の天皇陛下は「桓武天皇の生母が韓国の武寧王の子孫であるとしている『続日本記』の記録に韓国とのゆかりを感じる」と発言しているが、 日本書紀には、武寧王は日本の福岡の加唐島(かからしま)で生まれたと記してあり、そのことから武寧王は「シマ」と呼ばれ、現在もその島には武寧王の伝説が残っている。

なぜ、百済の王が九州に生まれたのか。答えは二つである。そもそも武寧王は日本人だったから。もしくは、百済の王が日本で生まれるほど、百済は日本の支配下にあったのいずれかである。

百歩譲って、「桓武天皇の生母は百済人」という前提で計算してみる。

桓武天皇(第50代)は、今の天皇(第125代)の75代前の天皇である。とすると、今上天皇の血液の中には"2の76乗分の1"の確率で百済人の血が混じっていることになる。

これを計算すると、0.0000000000000000000000000013%となり、数学的にはゼロに等しい。

これでもまだ天皇は韓国人だというのであれば、韓国人の血を吸った蚊が次に日本人を刺した段階で、その日本人は韓国人になるという理屈になる。