太平洋戦争(大東亜戦争)

大東亜戦争(太平洋戦争)を評価した人々

「被害者」であるはずのアジア各国の首脳たちが、大東亜戦争(太平洋戦争)を肯定的に評価している点に注目されたい。

この言葉の中身を見れば、彼らが自身の利害のために主張しているのではなく、大東亜戦争(太平洋戦争)が祖国に貢献したことを認めていることは分かるであろう。

「日本は日本の利益のために戦争したに過ぎない」と指摘する者もいるだろうが、「互いの利益のため」と言った方が適切であろう。

【引用】
ジャワハルラール・ネルー(インドの初代首相)

インドの独立は日本のおかげで30年早まった。この恩は忘れてはならない

【引用】
チャンドラ・ボース(自由インド仮政府代表)

大東亜共栄圏の建設は「全アジア民族、全人類の重大関心事」で「強奪者の連盟に非ずして真の国家共同体への道を拓くもの」であり、「(大東亜会議の)出席者各位は、新日本、新アジアの建設者としてのみでなく、新世界の建設者として永く其の名を歴史に止められるであろうことを、私は確信するものであります

【引用】
モハメッド・ナチール(インドネシア元首相)

アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したのです。

【引用】
サンパス(インドネシア元復員軍人省長官)

特にインドネシアの感謝することは、戦争が終わってから日本軍人約 1,000人が帰国しないでインドネシア国軍とともにオランダと戦って独立に貢献してくれたのだ。 日本の戦死者は国立英雄墓地に仕えて、功績をほめたたえて勲章を与えているが、それだけでは足りないのだ。

【引用】
ガザリー・シャフィー(マレーシア元外務大臣)

日本はどんな悪いことをしたと言うのか。大東亜戦争でマレー半島を南下した時の日本軍はすごかった。 わずか3ヶ月でシンガポールを陷落させて、私たちが絶対に勝つことができないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。 私はまだ若かったが、その時は「神様」の軍隊が来たのだと思っていた。日本は負けたが、イギリス軍は取り返すことができずにマレーシアは独立したのだ。

【引用】
ラジャ·ダーツ・ノンティック(マレーシア前上院議員/マレーシア独立の父)

我がアジアの多くの国は、日本が大東亜戦争を戦ってくれたから独立することができました。 日本軍は永い間、アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払って、到底白人には勝つことができないと諦めていたアジアの民族に 驚異の感動と自信を与えました。長い間眠っていた、自らの祖国を自らの国にしようという心を開くようにしてくれました。 私たちはマレー半島を進撃して行く日本軍に歓呼の声を上げました。負けて逃げて行くイギリス軍を見た時に、今まで感じたことがない興奮を感じました。 しかも、マレーシアを占領した日本軍は日本の植民地にしないで、将来それぞれの国の独立と発展のため、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育を実施してくれました。

【引用】
タナット・コーマン(タイ王国元首相)

大東亜戦争によって世界のいたるところで植民地支配が打破されました。そしてこれは日本が勇戦してくれたおかげです。 新しい独立国が多くの火の中で不死鳥のように姿を現わしました。誰に感謝を捧げなければならないのかは、とても明白です。

【引用】
ククリット・プラモード (タイ王国元首相)

日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。 今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本という母があった為である。

【引用】
ミャンマー独立軍声明

アジア人の前衛である日本人は、自らの社会経済的進歩と教育の発達のみを要求して闘いを進行させたのではない。 インド·ミャンマー·チャイナ·フィリピン·スマトラなどにおいて、政治的にも経済的にも足かせをされ、抑圧されていた人々のために戦ったのだ。

【引用】
バーモウ(ミャンマー初代首相)

真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日 ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条英機大将と大日本帝国政府であった。

【引用】
パールガス(フィリピン大使(独立記念日の演説より))

大日本帝国は、軍政を最終的に撤廃してフィリピン共和国の独立を承認するという、最上の形態でその崇高な精神と理念を証明した。 帝国はそのすべての誓いと宣言をまじめに守って、フィリピン国民が憲法を制定して、自らの文化と伝統に調和を成す国家を樹立する最大の機会を開いたのだ。 太平洋戦争に対して日本帝国は、あまりにも不当に暴虐の侵略者として非難されることがあるが、その寛容と自由の実践は世界も驚くでしょう。 日本は帝国だったが、一つの共和国を認め、確かにその樹立に参加したのだ。