古代史と韓国

【よくある指摘】 日本は韓国に支配されていた

【反論】 日本が支配していた

『隋書倭国伝』には「新羅百済皆似倭為大国多珍物並敬仰之恒通使往来」とある。

つまり、「新羅と百済は日本を大国で珍しい物が多い国だとしており、ともに日本を敬い仰ぎ、つねに使いを送り、往来している」とある。

『広開土王碑』には、倭(日本)との戦いの記録が残っており、「百残新羅舊是属民由来朝貢而倭以辛卯年来渡海破百残■■新羅以為臣民」とある。

すなわち、「もともと百済・新羅は高句麗の属民で高句麗に朝貢していた。ところが、倭が辛酉の年(391年)以来、しばしば海を渡って百済を破り、新羅を〇〇し、両国を倭の臣民としてしまった。」となる。

この碑文について、韓国は日本軍の改竄であると主張していたが、2005年に中国から古い時代の拓本が見つかり、書かれていたことが事実だと証明された。

420年に建国された南朝(宋)の『宋書』には、倭の五王が朝貢し、官爵を授けられた事が記されている。

これを見て分かることは、百済を除く朝鮮を日本が支配していた事実である(百済は日本が朝貢する前から、宋に朝貢しており、その実績を認められていたため、外れていると思われる)。

また、日本書紀には、より具体的な朝鮮支配の事実が記してある。

例えば、日本は百済の王子を人質にとり、その王子は故国を偲んで泣き暮らした、と書いてある。

【反論】 前方後円墳は日本の方が古い

日本の前方後円墳が3~5世紀に作られたのに対し、韓国の前方後円墳は5~6世紀に作られている。

さらに、韓国の前方後円墳の出土物に日本の埴輪に酷似した土器類が発見されている。

古代朝鮮の王族が日本人であったことの証拠と考えるか、あるいは同じ形態の墓を作るほどに日本化した朝鮮の王族がいたと考えるのが妥当である。