古代史と韓国

【よくある指摘】 日本の古代文明は、韓国のおかげだ

【反論】 伝えられた文明の大元は中国

古代において朝鮮(韓国)半島から多くの渡来人が日本に移り住み、一定の文化や技術を伝えたことは事実である。 しかし、伝えられた文化や技術の中で、「中国発祥ではなく、韓国独自のもの」は殆どないのも事実である。

【反論】 6世紀には見切りをつけていた

660年に百済が滅亡する前の600年からは遣隋使、次いで遣唐使が送られている事実を見ても、6世紀の後半には日本は朝鮮(韓国)渡来の文化に見切りをつけ、 直接中国と交渉して新しい文明を学ぼうとしたことが伺える。

607年には隋の国王に対して、聖徳太子が有名な「日出づる処の天子,書を日没する処の天子に致す  恙無(つつがな)きや」(「隋書倭国伝」による)という文書を送った事実が示すように、この時点で日本は中国の属国ではなく、対等の独立国家としての誇りを示し、中国もそれを認めた。

【よくある反応】 伝達だけでも韓国の恩恵を受けたことに変わりない

【反論】 日本の文明に関心を持っていたのは韓国

朝鮮半島からの文化伝来が皆無とはいえないが、古代において韓国も日本の文明に興味を持ち、取り入れている記録もあり、「お互い様」といえる。

「日本は韓国に支配されていた」に対する反論

【よくある指摘】 コメ作りは韓国が教えた

【反論】 日本のコメは朝鮮半島を経由していない

水稲の遺伝子を解析するとRM1に8種類(仮にA~Hとする)存在し、日本は3種類(A,B,C)が存在する。 中国は8種類全て揃っており、韓国は7種類(A,C~H)であり、Bが存在しない。

中国の水稲はB > Aの順に多く、日本も同様にB > Aの順に多い。

炭素14年代測定法では、日本の稲作開始は陸稲栽培が6700年程前まで、水稲栽培で3200年程度前まで遡るが、朝鮮半島では水稲栽培で1500年程度前までしか遡れない。