満州事変と関東軍

【補足】
満州事変について、柳条湖事件は関東軍の仕業であり、あくまで日本の国益のために満州全土に進出したことは事実であるという前提で進めます。
但し、「関東軍による自作自演」の根拠も、戦後、花谷正という軍人の証言を秦郁彦という学者が取り上げたことが大元になっており、信憑性に疑問符がつくにもかかわらず、 既成事実化されていることを補足しておきます。

【よくある指摘】 満州事変は関東軍による暴走である

【反論】 関東軍の軍事行動(満州事変)の理由を作ったのは中国側

日露戦争後に結ばれた条約によって、日本は満州鉄道を敷設し、また日本人が満州で土地を持ち、農業・商業を営む商租権が認められた。

満州鉄道については、鉄道運営に支障をきたさないよう、第三者が並行して他の鉄道を敷設できない旨の条約も結んでいる。
(関東軍は満州鉄道周辺の治安維持のみ許されていた)

ところが、現地の政府はその国際ルールを守らず、満州鉄道に並走するように鉄道を敷き、鉄道経営に打撃を与えたばかりか、 「日本人に土地を商租する者は売国奴とみなし、死刑に処する」と、排日運動を展開した。

排日運動による事件は後を絶たず、満州事変の直前では、日中間の懸案事項は300件に達し、日本人は既に満州での商益は不可能になっていた。条約を結んでいたにもかかわらずである。

このような状況の中で、関東軍は「多くの日本人が日露戦争で血を流して獲得した満州での権益を失うか」、「軍事行動を起こして権益を守るか」の選択を迫られたのである。

満州事変は「関東軍による暴走」なる言説が主流となっているが、軍閥による度重なる挑発行為、不法行為に対して、関東軍は自重していた。

そのため軍閥が不法行為をエスカレートさせたところ、関東軍による思わぬ反撃にあったというのが満州事変の実情である。 (現代の尖閣周辺の中国海警による不法行為も同じであろう。大人しくすれば、事態を悪化させる相手である。)

余談だが、「商租権及び、鉄道を並走させない条約は清国の時代のものであり、中華民国には関係ない」というのが、彼らの主張なら、 満州を支配する道理が中華民国には無い(清国と中華民国は別もの)のである。

【反論】 満州の確保は安全保障の側面があった

日本の安全保障において、満州は重要な地域であったことは事実である。

日露戦争に勝利したとはいえ、依然としてロシア(ソ連)は北の脅威であり、ソ連の満州を領有することへの意識は、関東軍と同等と呼べるものであった。

満州はソ連の侵攻を抑えるための位置づけだったが、中華民国の一軍閥と、関東軍の間接的な支援では、ソ連の南下を抑えることは困難であった。

しかし、状況を放置すれば、日露戦争で得た様々な権益が脅かされるばかりか、満州がソ連に支配されれば朝鮮、日本本土への安全保障にも関わる。

日本政府は、欧米との摩擦を避けるため不干渉の方針であったが、 とても国民の支持を得られる状況ではなく、満州事変勃発時の日本国民は関東軍を支持していた。
(現代とは、まったく世相が異なるように見えるが、当時の人々は事態の本質をよく理解している)

余談だが、戦後になると関東軍が消滅し、案の定、朝鮮や満州が日本から開放されたとたん、毛沢東とスターリンが共謀し、満州は支配され、北朝鮮は南進し、300万人が虐殺された。

とりわけ、ソ連(ロシア)がいかに日本にとって軍事的脅威であったか、ポツダム宣言受諾後のソ連の南下による 満州、樺太、千島列島への侵攻。戦後の北方領土問題を見れば分かるであろう。

【引用】
『日米戦争を策謀したのは誰だ!』(林千勝)

「日本がひとり満州国において共産主義の防戦の役を務めているのはお気の毒だと思っているもので、その費用は他の諸外国において分担して然るべきものだと考える」 アメリカの財界や共和党筋には、このような考え方を持つ人々も多かったことを、我々は知らなければなりません。