満州事変

【よくある指摘】 満州は日本の傀儡国家であり、中枢を日本人が占めるのはおかしい

【反論】 満州の統治に日本人が関わるのは運営上やむを得なかった

満州のような広大な国を治めるには、高度な知識と経験を持つ政治家が不可欠であり、 現地民の識字率は2割にも満たず、近代国家を運営する能力が欠如していた。

このことはリットン調査団も認識しており、リットン報告書では、「行政長官は外国人顧問を任命し、その大部分を日本人とすべき」としている。

人材不足に加え、現地民だけに自治を任せれば、再び軍閥のような勢力が現れ、満州を混沌とさせることを懸念したのである。

また、中華民国は協定を破棄して清朝から皇帝の地位を一方的に剥奪した経緯もあり、溥儀は皇帝に復帰することを強く希望したのである。 満州地域の『民度』を鑑み、帝政を主張したのも溥儀である。

現在、溥儀の即位は「満州国が日本の傀儡と思われないためのみせかけ」といった解釈がなされているが、満州の連省自治派と溥儀の強い意向を汲んで、関東軍は溥儀の即位に賛成したのである。

そもそも歴史をフラットに観察するならば、出来事を淡々と見るべきである。『傀儡』という言葉は、中国の御用学者が持ち出した都合のいい用語であり、レッテルのような表現を鵜呑みにすべきではない。
(関東軍の『暴走』といった表現にもいえる)

【引用】
『日本を呪縛する「反日」歴史認識の大噓』(黄文雄)

中国政府は、満州国を日本の傀儡だったとして「偽満州国」、溥儀を「傀儡皇帝」と呼んで非難するが、中華民国政府も中華人民共和国政府を「偽政権」、 ソ連の「傀儡政権」と呼んでいた。中華的秩序・歴史観では、自分が認めたくない政権はあくまでも「偽」「傀儡」とするということだ。 満州国の場合も、中国の御用学者が主張する「偽満州国」論を鵜呑みにしていては、満州国の歴史的事実は直視できない。

【よくある反応】 溥儀は東京裁判で日本の傀儡であったことを証言している

【反論】 自伝の中で東京裁判での証言を否定している

溥儀は東京裁判の中で「すべては日本軍の仕業であり、自分はまったくの傀儡にすぎなかった」とする答弁をしている。

しかし、満州事変当時、溥儀は南次郎大将に宛てた「宣統帝親書」の中で、満州国皇帝として復位し、龍座に座することを希望すると書いている。

溥儀の自伝である『我的前半生(わが半生)』では、東京裁判での偽証を謝罪している。

溥儀は満洲国の執政に就任したのは自発的であった証拠の「宣統帝親書」を「日本による偽造である」と主張したのは嘘であることを認めている。

【よくある指摘】 昭和恐慌をきっかけに経済目的で満州を侵略した

【反論】 むしろ満州に投資していた

満州は重要な貿易相手であったことは事実だが、満州事変によって昭和恐慌を脱したとはいえない。

昭和恐慌の脱却は、高橋是清による積極財政と円安による輸出促進が主な要因であり、とりわけ綿織物の輸出はイギリスに代わって世界一となった。

日本製の織物は、品質・価格ともに優れており、欧米のブロック経済(高関税)が通用しない程であった。 そのため、満州の資源に依存しなくても外貨を稼ぐことはできた。

石橋湛山のようなエコノミストは、「満洲は投資する土地であって、支配する土地ではない」と述べている。

満州に対しては、併合時の朝鮮と同じく、その発展のために国力を投じていたというのが実態である。

これは、海外進出を取らない「小日本主義」を訴えた三浦鉄太郎も、満州を放棄すれば軍事費1億円を軽減可能と主張し、 台湾、朝鮮、満州、樺太といった領土の経営費は国民に負担を強いるものとして反対している。

勿論、満州の豊富な資源は、日本にとっても重要であり、長期的に見れば投資・開拓によって、日本も恩恵を受けることになる。 よって「満州事変における経済面の目的が皆無」という見解は極論といえる。

但し、満州の発展によって、もっとも恩恵を受けるのは、圧政に苦しんでいた現地の満州人や移民達であることにも留意する必要がある。

【引用】
『日本を呪縛する「反日」歴史認識の大噓』(黄文雄)

孤軍奮闘の日本は、台湾、朝鮮、そして満州を自ら経営しなければならなかった。(中略)こうした地域が中国の支配下にある限り、 やがては西洋列強に奪い取られ、アジアはもとより日本の存続すら危うくなる恐れが強かった。そこに搾取すべき地下資源や 人口がどれほどあるかは問題ではなかったのである。

予想される指摘(別ページ):日本以外、満州国を承認していない