【よくある指摘】 韓国併合は強制だから悪いことだ
【反論】 現代の価値観で善悪を評価することがおかしい
人間の価値観は常に変わっていく。
民族自決が提唱されたのは、1919年のパリ講和会議からで、それまでは民族独立の概念すらなかった。
自治能力のない民族が被支配者層になることは、当時の世界では常識的なことであり、そこに善悪の価値観は無かった。
『産経新聞 2001年11月27日』
英の学者ら「日韓併合不法論」支持せず 韓国主張崩れる
国際法学者J・クロフォードは韓国併合は国際的に認められていたもので手続きに不備があったとしても無効とはならないと李泰鎮の不成立論を斥け、
【よくある指摘】 併合を推進した韓国人は売国奴だ
【反論】 韓民族の存続を願っていた
李完用は韓国の近代化を望んではいたが、親日派とは言い難く、日本統治時代に公式の場では、日本語を使わず、英語、韓国語を常用していた。
"街を歩けば潰れかけの薬屋の門札に「李完用」、鼻をつまんで通り過ぎたい居酒屋のすすけた柱に「李完用」、道端でつかまえて飛び乗った人力車夫の笠に「李完用」"というエピソードも残っている
(参考文献: 『日の丸少年の死』鷹橋掬二)程、李完用は特に農民に尊敬されていた。
また、創氏改名の際、「伊藤」と名乗る者も多かった。このように韓国併合の立役者が支持されていたにも関わらず、時代が変わり、政権が変って都合が悪くなったために
評価を180℃変えてしまうのは、世界史上よくあることである。
『中央日報 2001年8月27日』
李は韓国の将来を考え、自主独立への道を模索していたといわれる。彼は独立協会の創設者の一人となっているが、日本に近づくも日本語を決して学び、話すことはなかった。 独立新聞の記事にも、李完用を批判する記事は一つも載っていない。
(朝鮮全権大使 李成玉)
現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面を保つ事はできない。 亡国は必至である。亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。日本人は日本流の道徳を振り回してうるさく小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして日本は朝鮮を導き、世界人類の文明に参加させてくれる 唯一の適任者である。それ以外に我が朝鮮民族が、豚の境遇から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は、欧米人の朝鮮人観を基に考察したのだ。
【よくある指摘】 日本の価値観を押し付けた
【反論】 内鮮一体こそ平等の証といえる
当時の韓国は「日本」であったことを念頭に置く必要がある。皇国臣民化こそ、韓国の人たちを日本人と同様に扱った証拠だといえる。
内地の日本人が臣民だったのに、韓国の人たちは臣民化しないのは差別であろう。
日本統治時代を知る韓国人知識人でさえ、当時の状況を見れば、間違いではないと言っている。
そもそも韓国併合は上記の通り、韓国側も要望している。また、韓国の農民・民衆が支持した一進会の請願もあり、韓国併合となった。
【よくある反応】 一進会は対等合邦を望んでいたのに日本に裏切られた
【反論】 日韓の国力の差から現実的ではなかった
対等合邦は、当時の大韓帝国の巨額の債務や土地インフラに膨大な予算が必要になることから日本国民の理解を得ることは難しく、
一進会の創設者のひとりである宋秉畯も、対等合邦は国力の差から困難であると判断している。
また、千年以上違う歴史を歩んだ日本と韓国を同一化するのは無理なことで、それは日本政府も承知していた。
だからこそ、日本は、韓国を併合するのではなく、保護国とすることで、独自の近代化を望んだのであるが、その頃、韓国では相変わらず権力争いや賄賂が横行するばかりで、一向に近代化する様子を見せなかった。
韓国併合によって、日本が韓国を飲み込む形になったのは、近代化に着手できず、ロシアが韓国に干渉し始めても、退けることができなかった韓国側にも責任はある。
『韓国北朝鮮の嘘を見破る』(文春新書)
一進会などが主張する対等合併は両国の国力の差、大韓帝国の混乱した実情などから非現実的で、朝鮮が従属的な地位に置かれるのは必然的であった。
【よくある指摘】 日韓協約などで強引に外交権などを奪った
【反論】 自力で近代化できなかった結果といえる
上記の通り、日本は、韓国を保護国とすることで、近代化を望んだのであるが、韓国では相変わらず権力争いや賄賂が横行するばかりで、
近代化を志す者は、家族もろとも処断された。
日本にとってロシアは脅威であり、ロシアに近づこうとする高宗がハーグ密使事件で日本の保護国化の無効を訴えたことから、
外交権を剥奪することとなった。
朝鮮の立場からすれば、国土をロシアに明け渡すか、日本に併合されるかの二択しかなかったのである。
朝鮮の全権大使である李成玉も、李完用首相も、そんな朝鮮の実情を見て、日本との合併やむなしに至ったのである。
『日韓併合 韓民族を救った「日帝36年」の真実』(崔基鎬)
日韓保護条約、日韓併合条約に賛成した大臣たちは、民族の繁栄を希求し、滅亡を事前に防ぎたいという念願から、 合邦に賛成しているのである。 彼らは当時の朝鮮国内の状況から、やむにやまれぬ政治選択をしたのであって、むしろ政権担当者の責任として 当然の行いをしたまでである。