太平洋戦争(大東亜戦争)とハルノート

【よくある指摘】 ハルノートを受け入れれば、戦争にならなかった

【反論】 ハルノートの背景からして、戦争は避けられなかった

ハルノートを巡っては様々な説が存在するが、そもそも、ハルノートを受け入れたとしても、アメリカとの戦争は(遅かれ早かれ)避けられなかった。

戦後、アメリカによるソ連の暗号解読により、ハルノートを作成したハリー・ホワイト財務次官は、ソビエト赤軍情報部のスパイであることが分かっている。

1935年7月、ウィリアム・C・ブリット駐ソ大使は、ハリー・ホワイトに対し「ソ連は日本とアメリカが戦ってくれることを渇望している」と報告している。

ソ連はハリー・ホワイトにハルノートを書かせるだけでなく、日本とアメリカが融和したら、蒋介石が怒る(米中の関係が悪化する)というシナリオを描いていた。 共産主義者で国民党顧問のオーウェン・ラティモアは、アメリカ政府に「日米交渉を妥結すれば蒋介石が怒る」という手紙を書いている。

つまり、当時のアメリカは、好戦的かつ共産主義者であるルーズベルト大統領を、ソ連の工作員が利用しているという絶望的な構図となる。
ハルノートを受け入れたとしても、何らかの形で戦争に追い込まれたであろう。

1940年10月7日、海軍諜報局アーサー・マッコラム少佐は、ルーズベルト大統領にメモを提出している。

このメモには、物資の供給を止めるといった、日本にアメリカを攻撃させるための挑発方法が記されており、 ルーズベルトは、1941年にマッコラムのメモに含まれている方法を全て実行している。

そもそも、ハルノート以前に真珠湾攻撃の4か月前の1941年7月にルーズベルト大統領など米国首脳は日本本土の爆撃計画に署名している。

下記の文章は、中国へ戦闘機を供与する旨の文面に見えるが、この中の「JB355号に盛り込まれているこの勧告を統合本部は承認しており~」に注目したい。 JB355とは、中国本土から日本へのフライング・タイガーによる爆撃計画である。

【引用】
『ルーズベルトが招集した1941年11月25日の会議の議事録』

問題は、いかにして日本を、最初の一発を撃つ立場に追い込むかである。

【引用】
ハーバート・フーバー(アメリカ元大統領)

モスクワ(ソ連)は、我が国(アメリカ)と日本の間に平和がなってもらっては困ると思っていた。そうなってしまえば、蒋介石は日本軍との戦いから解放され、 毛沢東の共産党政府を(蒋介石が)潰しに来ることになるからである。

【引用】
ハミルトン・フィッシュ(アメリカ下院議員)

仮に日本が満州を放棄して、資源の豊かな同地を長らく羨望していたソ連に明け渡していたなら、それは日本にとって国家的な自殺行為となっただろう。 しかしこれこそが共産主義擁護者H・Dホワイトの欲していたところであった。