韓国併合と閔妃殺害

【よくある指摘】 明成太皇后(閔妃)を殺害した

【反論】 明成太皇后(閔妃)の殺害には韓国人たちも関与していた

明成太皇后(閔妃)の殺害には、韓国人も行動を共にしていたことは意図的に無視されている。

韓国の実権を掌握していた明成太皇后(閔妃)は、自分の一族の繁栄のために、敵対する大院君一派との内部抗争に明け暮れていていた。 しかも、明成太皇后(閔妃)は享楽に心を奪われて莫大な国費を浪費していたため徴税は一層厳しくなり、役人の不正ともあいまって、民衆の苦しみは極限に達していた。

そのような現状に危機感をいだいた韓国政客は、明成太皇后(閔妃)を暗殺しない限り韓国の独立と近代化は実現しないと考えていた。

【よくある反応】 明成太皇后(閔妃)の殺害に韓国人は関与していない

【反論】 裁判記録には明成太皇后(閔妃)の殺害に関与した6名の韓国人が存在する

裁判記録によると、明成太皇后(閔妃)殺害の実行犯は、趙羲淵(当時軍部大臣) 禹範善(訓錬隊第二大隊長) 李斗璜(訓錬隊第一大隊長) 李軫鎬(親衛第二大隊長) 李範来(訓錬隊副隊長) 権濚鎮(当時警務使)の6名となっている。

【よくある反応】 明成太皇后(閔妃)殺害の首謀者の中に日本人(三浦梧楼)がいる

【反論】 三浦梧楼は明成太皇后(閔妃)の暗殺を援助したが首謀者とは言えない

以下の証言や記録が、明成太皇后(閔妃)殺害の首謀者、実行犯は韓国人が中心であったことを示唆している。

「王妃を殺したのは、不貞の私の部下だ」『1906年 統監代理長谷川好道韓皇謁見始末報告(國分書記官通訳并筆記)』(現場に居合わせた高宗の証言)
「国母を殺したのは、禹範善だ」『往電31号』(現場に居合わせた純宗の証言)
「王妃を直接殺したのは、私です」(禹範善の証言)
「王妃殺害を今回計画したのは、私です」『裁判官報』(李周會の証言)
「1895年11月26日に実行された王妃暗殺では、間違いなく大院君(国王高宗の父)がかなりの役割を演じていた。」『1895―1896年の南朝鮮旅行』(カルネイェフ(ロシア参謀本部中佐))

【引用】
『韓国堕落の2000年史』(崔基鎬)

宮廷の要路(重職)の顕官たちは、民衆から搾取して、競って閔妃に賄賂を贈り、王妃に媚びて「巫堂ノリ」に積極的に参加し、巫女たちとともに踊った。閔妃は、狂気の宮廷に君臨する女王だった。また、閔妃は音楽を好んだので、毎夜、俳優や歌手を宮中に招いて演奏させ、歌わせた。そして自分も歌った。俳優や歌手たちに惜しみなく金銭を撒いて、遊興した。 日本のおろかな女性作家が、閔妃に同情的な本を書いたことがあるが、閔妃は義父に背恩したうえに、民衆を塗炭の苦しみにあわせ、国費を浪費して国を滅ぼしたおぞましい女である。このような韓国史に対する無知が、かえって日韓関係を歪めてきたことを知るべきである。