太平洋戦争(大東亜戦争)とABCD包囲網

【よくある指摘】 ABCD包囲網は日本が悪い

【反論】 ABCD包囲網は日本が「悪」だから受けたのではない

ABCD包囲網は、中国大陸の市場を巡っての縄張り争いの中で、日本が突き付けられた戦争も想定内の経済制裁である。

日露戦争後に、日本とアメリカの関係は次第に悪化した。 原因の一つとして、アメリカの鉄道王ハリマンが満鉄の共同経営を持ちかけたときに日本が断ったことが挙げられる。

アメリカも中国大陸の市場を欲しており、日本の存在は目障りであった。

ただし、中国の市場に介入できるなら、アメリカとしては問題なく、日中戦争(支那事変)勃発当初は中立を保っていた。

しかし、ソ連、中国共産党を間接的に支援したいとするルーズベルト大統領やコミンテルンのスパイたちの思惑で、アメリカの矛先は国民党と対立する日本へと向けられる(共産党が中国を支配するには、国民党軍を日本軍と戦わせて消耗させる必要があるため)。

1938年以降(日中戦争の開始は1937年)、アメリカは日本への武器輸出を制限し、国民党に対しては経済援助、武器援助を行った(これがABCD包囲網へとつながっていく)。

日中戦争(支那事変)の中で、アメリカは蒋介石(国民党)を支援し、ソ連は毛沢東(共産党)を支援し、日本は汪兆銘の南京政府を支援した。

ABCD包囲網とは、あくまで中国大陸の利権を獲得するための国際競争及び、共産主義を拡大しようとする政治的思惑が重なっており、「中国で悪さをする日本を止めよう」という善意ではない。

日本がソ連と対立する『北進論』ではなく、南方の資源を確保し欧米と対立する『南進論』を採用し、南部仏印進駐によってABCD包囲網という制裁を受けたのは事実である。

しかし、共産主義者たちの工作を受けていたのは欧米だけではなく、日本も同様であった。

当初、日本陸軍は「南進論でアメリカと対立するのは現実的ではない」として、北進論を検討していた。そこでゾルゲ事件で捕まったコミンテルンの尾崎秀美(おざきほつみ)などが 宣伝工作、助言をして議論を頓挫させ、徐々に「南進論」に傾かせた。

軍部内においても、有沢広巳のような共産主義者が陸軍のシンクタンク(秋丸機関)に研究リーダーとして在籍しており、 この秋丸機関も南進論を主張した。

秋丸機関は日本をソ連ではなく、太平洋戦争(大東亜戦争)でアメリカと戦わせるために「英米合作経済抗戦力調査」で 欧米に勝てる道筋を示すことで、開戦の反対派を封じ込めることに一役買う事となった。 (NHKなどが定期的に、秋丸機関は日米の国力の差から、開戦に反対していたと主張しているが、真実は真逆である)


コミンテルン・共産主義者たちによる綿密な工作によって、日本は徐々にアメリカと対立を深める方向へ誘導されていった。
(参考文献:『日米戦争を策謀したのは誰だ!』林千勝)

その結果が、ABCD包囲網であり、1滴の石油も入ってこなくなった日本は「大東亜共栄圏」で状況を打開しようとした。

ABCD包囲網は、日本だけが一方的に悪かったからといった指摘は論外であるし、「ABCD包囲網を避けるため、北進論にすべきだった」という指摘も結果論に過ぎない。

また、ABCD包囲網は「そもそも、中国大陸へ進出した日本が悪い」といった言説も、当時の国際情勢を踏まえない的外れな指摘である。

【引用】
『日本を呪縛する「反日」歴史認識の大噓』(黄文雄)

当時の現実から見れば、日本が小国主義をもって列強から離脱したとしても、列強にとって競争相手が一つ減ったという好ましい事態としてしか受け止められなかっただろう。それによってロシア(ソ連)の 陸からの南下、アメリカの海からの西進など、アジアへの勢力扶植の動きにストップをかけられるどころか、加速させるだけだったろう。そして、朝鮮を放棄したなら、朝鮮はふたたび列強の係争の地となり、 日清戦争以前の小国に立ち返った日本は、何らなす術も持たないばかりか、絶えず大国の脅威に怯え続けただろう。

【よくある反応】 ABCD包囲網(経済制裁)で太平洋戦争(大東亜戦争)を正当化できるなら、北朝鮮も正当化できる

【反論】 ABCD包囲網は制裁のスケールが違い過ぎる

昭和15年の労働人口は3,260万人である。1,000万人~1,200万人が失業するような事態は、国土の半分を消失するような状況である。

20世紀以降、石油はあらゆる産業に欠かせない資源になった。石油が1滴も入ってこないと、飛行機も軍艦も動かせないため、 国防力すら失うことになる。

完全な石油の禁輸は、国家にとっては兵糧攻めであり、宣戦布告に等しいことは当時の世界からすれば常識となっていた。

エチオピア戦争においても、イタリアへの経済制裁が国際連盟で検討されたが、石油の禁輸は宣戦布告に当たるとして、却下されている。

尚、北朝鮮は中国からの輸入ルートがあり、1滴の石油も手に入らないような状況ではない。

ABCD包囲網はこのような前例を覆す非常に厳しい制裁であると認識する必要がある。

また、締結した条約を律儀に守っていた日本と、ことごとく破る北朝鮮とは「道義」的な観点でも比べることはできない。

【引用】
ラッセル・グレンフェル大佐(イギリスの歴史家)

ある程度の事情がわかっている者は、日本が悪辣な奇襲攻撃をアメリカに仕掛けたなどとは考えない。真珠湾攻撃は期待されていた。ルーズベルト大統領がアメリカを戦争に導きたかったことに疑いの余地は無い。(中略)日本への締め付けは、自尊心のある国であれば、もはや武器を取るしかないと思わせるところまでいっていた。

【引用】
ダグラス・マッカーサー(アメリカ陸軍元帥)

日本は4つの小さい島々に8千万人近い人口を抱えていたことを理解しなければならない。日本の労働力は潜在的に量と質の両面で最良だ。彼らは工場を建設し、労働力を得たが、原料を持っていなかった。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、スズがない、ゴムがない、他にもないものばかりだった。その全てがアジアの海域に存在していた。 もし原料供給を断ち切られたら1,000万~1,200万人の失業者が日本で発生するだろう。それを彼らは恐れた。従って日本を戦争に駆り立てた動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだった。

予想される指摘(別ページ):マッカーサーの証言はデマである

予想される指摘(別ページ):ハルノートを受け入れれば、戦争にならなかった