韓国併合時代の強制連行

【よくある指摘】 本土へ強制連行れた

【反論】 強制連行ではなく、自由意志で渡航している

外務省の調査によれば、1959年の時点で国民徴用令によって内地に居住した朝鮮人は245人に過ぎない。 終戦前の時点においても、大多数は自由意志で渡航している(戦中、戦後の一時期を除いては、自由に渡航することができた)。

これを朝日新聞が報じている点についても注目する必要がある。


【よくある反応】 国民徴用令は実質強制連行である

【反論】 大部分が朝鮮半島内のもの

国民徴用令によるものは1944年9月から、翌年3月までの僅か7か月であり、当然、内地の日本人も同じように徴用されたことも踏まえる必要がある。

それ以前の民間による徴用は、大部分が朝鮮半島内のもので、内地への募集には数倍の競争率がつき、選ばれた朝鮮の人々は、歓喜の中で日本へ渡った。 休日はショッピングや遊郭回りを楽しみ、給料も高かった。

併合の直後は職と豊かな生活を求めて、日本本土へ渡航しようとする朝鮮人が多く、渡航制限を設けた程である。 その際「同じ日本人なのに、(本土へ)渡航できないのは差別だ」と抗議したのは朝鮮人自身である。

尚、日本へ自ら渡った朝鮮人は70万人であり、徴用で日本へ渡った者は5千人である。

【よくある指摘】 強制連行され、炭鉱で働かされた

【反論】 炭鉱は当時の花形産業である

炭鉱は当時の花形産業であり、収入は当時のサラリーマンの平均の2~3倍になる。

【よくある指摘】 軍艦島へ強制連行され、強制労働させられた

【反論】 軍艦島で過酷な強制労働を課した証拠はない

NHK番組「緑なき島」を巡り、NHK幹部が自民党会合で、坑内とされる映像の撮影に使われたフィルムは1955年製だと説明している。

NHKは保安規定、坑道の高さや角度、装備も矛盾し、また元島民の証言とは辻褄の合わない映像を使用していた。


NHKですら一次資料が見つけられないことからも、朝鮮人を連行し、過酷な強制労働を課した証拠はないといえる。

尚、有識者を交えた番組の検証に元島民を加えることについて、NHKは反対しており、難色を示している。

【よくある指摘】 戦場へ強制連行された

【反論】 出征は名誉なこととされた

当時、大東亜戦線に加わることは、大変名誉なこととされ、内務省の記録によると、日本軍への朝鮮側からの志願は、50倍以上の競争率をもった。

1943年の朝鮮志願兵応募状況によると、応募者303,294人、採用数5,300人、競争率は57倍である。 徴兵も行われたが、1944年3月からで、ほとんどが訓練期間のまま終戦を迎えた(日本軍徴兵に朝鮮側が感謝している記録も残っている)。

また、韓国大統領となった朴正煕も日本軍に志願し、血書を提出している(満洲新聞 1939年3月31日)


朴春琴代議士は、朝鮮人志願兵の実現を熱望しており、朝鮮人2,300万人の悲願であるとし、制度の実現に感謝の意を述べている。
(朴春琴は一代議士に過ぎず、親日派の売国奴に過ぎないと反論するのは簡単であるが、各種統計や戦前を知る韓国人の話も鑑みると辻褄が合うのである)




【よくある反応】 朝鮮人は貧しかったから徴兵に応募した

【反論】 朝鮮も大東亜戦争に熱狂していた

貧しさから徴兵に応募した者が皆無とは言い切れないが、大東亜戦争開戦直後、サイパンやシンガポールが陥落したとき、 歓喜に沸いたソウルはお祭り騒ぎだった(加耶大学客員教授 崔基鎬)ことから、朝鮮人も大東亜戦争に熱狂していたことが伺える。