南京虐殺(ぎゃくさつ)

【よくある指摘】 ティンパレー(ティンパーリ)が書籍で南京虐殺(ぎゃくさつ)を証明している

【反論】 ティンパレー(ティンパーリ)の南京虐殺(ぎゃくさつ)に関する書籍は国民党の宣伝本である

ティンパレー(ティンパーリ)の『戦争とは何か』といった書籍は、いずれも国民党の宣伝本である。

【引用】
『曾虚白の自伝』(国民党国際宣伝処の処長)

ティンパレー(ティンパーリ)は都合のよいことに、我々が上海で抗日国際宣伝を展開していた時に上海の『抗戦委員会』に参加していた3人の重要人物のうちの1人であった・・・(中略) かくして我々は手始めに、金を使ってティンパレー(ティンパーリ)本人とティンパレー(ティンパーリ)経由でスマイスに依頼して、日本軍の大虐殺の目撃記録として2冊の本を書いてもらい、発行することを決定した

【引用】
『産経新聞 2003年3月1日』

南京大虐殺 覆す新事実 根拠の著書 中国宣伝本と判明
これまで「南京大虐殺」の根拠とされてきた英国の新聞記者の著書が中国国民党の宣伝書籍だったことを示す極秘文書が二十八日までに、東中野修道・亜細亜大学教授の調査により台湾で発見された。「大虐殺」説を覆す決定的な証拠として注目される。(石川水穂)

問題の著書は、日本軍の南京攻略当時、英マンチェスター・ガーディアン紙の中国特派員だったH・ティンパーリーの『戦争とは何か』。「四万人近くの非武装の人間が南京城外または城壁の付近で殺された」などと書かれ、「大虐殺」の証拠とされてきた。

東中野教授が見つけた文書は『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』という題で、「極機密」の印が押され、日本軍が南京を占領した一九三七(昭和十二)年十二月から約三年間の中国国民党の宣伝工作を記録していた。

その中の「対敵宣伝科工作活動概況」という項目で、国際宣伝処が編集・印刷した単行本として『外人目睹中之日軍暴行』を挙げ、「この本は英国の名記者、田伯烈が著した。内容は、敵軍(日本軍)が一九三七年十二月十三日に南京に侵入したあとの姦淫、放火、掠奪、極悪非道の行為に触れ、軍紀の退廃および人間性の堕落した状況についても等しく詳細に記載している」と書いていた。

『外人目睹中之日軍暴行』は、「外国人が見た日本軍の暴行」という意味で、『戦争とは何か』の中国語版の題名。また「田伯烈」はティンパーリーの中国名にあたる。

【よくある反応】 ティンパレー(ティンパーリ)が国民党の顧問になったのは1939年であり、国民党の宣伝本ではない

【反論】 ティンパレー(ティンパーリ)がいつ正式に国民党の顧問になったかは問題にならない

日本軍が南京を占領した1937年12月から約3年間の中国国民党の宣伝工作を記録した『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』の 「対敵宣伝科工作活動概況」という項目で、国際宣伝処が編集・印刷した単行本として『外人目睹中之日軍暴行』がある。これは、ティンパレー(ティンパーリ)の『戦争とは何か』の漢語版である。

この本は英国の名記者、田伯烈が著したとされている。内容は、日本軍が1937年12月13日に南京に侵入したあとの姦淫、放火、掠奪、極悪非道の行為に触れ、 軍紀の退廃および人間性の堕落した状況についても等しく詳細に記載している。

田伯烈とは、ティンパレー(ティンパーリ)の中国名にあたる。
中央宣伝部が総力を挙げて製作したのが、ティンパレー(ティンパーリ)の宣伝本『戦争とは何か』であり、もはや「ティンパレー(ティンパーリ)がいつ正式に国民党の顧問になったか」など問題にならないのである。

予想される指摘(別ページ):ジョン・ラーベが証言している

予想される指摘(別ページ):国際委員会が嘘をつく訳がない

予想される指摘(別ページ):マギー牧師が証明している

予想される指摘(別ページ):ダーティン、スマイス、ベイツらも証言している